桃太郎が許せない
おとぎ話には時に無理な設定が存在する。竜宮城に行く際に水中で呼吸ができたり、鶴が織物をしたりと、通常では考えられない現象が起きる。しかし、これらはおとぎ話というジャンルに区分されているがゆえに、現実から大きくかけ離れていることを許され、フィクションであるということを前提として人々を物語の世界へといざなうのである。
たしかに、多くの人が違和感なくおとぎ話を読むであろうし、もしフィクションであることを前提としているおとぎ話に「なんで桃が川から流れてくるんだよ。」などのようなツッコミをしていたら、物語を物語として捉えることができない幼稚な考えであるとして周囲に嘲笑されるであろう。
しかし、前述の例のような”作者が意図した設定”以外の点で、現実と照らし合わせて明らかにおかしな箇所が存在すると、私は違和感を感じて物語の世界から追い出されてしまう。
最近たまたま桃太郎の原文を読む機会があったのだが、どうしても気になる箇所がいくつか存在したので、それを記述していこうと思う。
まず最初に気になったのは、
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。」という冒頭の紹介である。
この時代におじいさんやおばあさんは本当に存在していたのだろうか?
桃太郎が伝承されだしたのは江戸時代であるため、この物語の時代背景は江戸時代よりも前ということが伺える。そこで、この物語の時代背景が室町時代だったと仮定したが、やはりおかしい。室町時代の平気寿命は30歳前後であり、50歳以上生きることほとんどなかったそうだ。
「このおじいさんとおばあさんがたまたま二人とも長生きしたのではないか。」という風に考えた人のために一応言っておくが、50歳以上生きることができる人々は医療環境が整った富裕層である。山奥に住んでいて、芝刈りにより生計を立てているこの夫婦が富裕層でないことは明らかであるため、やはり山奥におじいさんとおばあさんが住んでいることはないのである。
しかし、これらのことを調べてる際に面白い事実を発見した。この時代の女性は、初潮があるとすぐに結婚し、あとは妊娠、出産、授乳、妊娠、出産、授乳をほぼ休みなく繰り返し、30になるころにはもう既に孫がいて、容貌も老婆だったそうだ。
これらのことを考慮すると
「昔々あるところに、おじいさんと言うにはまだ早い成人男性と、見た目はおばあさんですが実年齢は30前後の女性が住んでいました。」という表現が、最大限譲歩した形となる。
次に気になったのは描画表現である。桃が水面上をどんぶらこと流れてきたが、これは明らかにおかしい。もし本当にそれが桃ならば、桃が川の水を吸収して果肉の部分の質量が重くなって沈み、続けて桃太郎がいる空洞部分は水で満たされて水面下に沈み、全体が沈んだ状態で流れてくるはずである。
基本的に桃は水分を吸収しやすく、収穫時期に雨が降るか否かによって味が変わるほどデリケートな果物である。元々高温乾燥という気候条件の地域で誕生したため、雨に何度も晒してしまうと果実が水を吸って膨らみ、糖度が低下してしまう。そのため、雨が少ない時期のほうがより糖度が高い桃を収穫することができる。しかし、だからと言って水分量が少なすぎると桃本来のみずみずしさが失われてしまうため、ほどよい水分量が求められる。桃を購入した際、冷蔵庫に長時間入れておいてしまうと桃のみずみずしさが次第に失われていってしまうし、冷やしすぎると甘みも低下しましてしまうため、食べる23時間前に冷蔵庫に入れて冷やすと、最も美味しく食すことができる。余談を挟んだが、このように水分によって大きく味が変わるため、桃の栽培には大きな手間がかかる。林檎などの他の果物より比較的値段が高いのも、このような手間賃と考えたら納得がいくだろう。
また、桃には秘改善に有効に働く食物繊維のペクチンを豊富に含むほか、生活習慣病や老化の予防効果があるビタミン、糖質や脂質の代謝に不可欠なナイアシン、高血圧の疾患予防に役立つカリウムなどが含まれているため、美味しいだけでなく栄養価が高くお肌にもいい果物である。
これらのことを考慮すると、やはり桃は果物の中で最も優れていると言っても過言ではないだろう。
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